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「ディズニー×ユニバーサルスタジオ」出身社長のトークセッション(前編)

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「ディズニー×ユニバーサルスタジオ」出身社長のトークセッション(前編)

ザワット株式会社代表取締役 原田大作氏  × ストリートアカデミー株式会社代表取締役 藤本崇氏

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【社長紹介】ザワット株式会社 代表取締役 原田大作氏
中央大学文学部社会学科 社会情報学専攻。
ベンチャーでインターンを経験後、株式会社サイバード入社。
その後、The Walt Disney Company (Japan) Ltdを経て、2011年ザワット株式会社設立。

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【社長紹介】ストリートアカデミー株式会社 代表取締役 藤本崇氏
中学から大学までアメリカで生活。大学では機械航空学を専攻。
インターンを経験後、Universal Studiosへ入社。その後、FedEx、スタンフォードMBA終了。投資ファンドでの勤務を経て、2012年ストリートアカデミー株式会社設立。


今をときめく社長の学生時代はどんなだったのか。そしてどんなことを考え起業し、今にいたるのか。またこれからインターンを始める方に向けて、メッセージもいただきました。

それぞれの学生時代についてお話いただきました。

Q. どんな大学生活を送っていましたか?

【音楽とインターンにひたすら打ち込んでいた原田氏】
原田氏(以下、原):大学時代は音楽をやりたかったので、近場の大学を選びました。パソコンを触ってたので、情報系を専攻しました。学生時代は、バイトと音楽しかしてないですね。最初の頃はバイト2、3本掛け持ちしていて。音楽ってほんとにお金かかるんですよ。実家を出て自立していたので、そうじゃないとまわらないっていう。

(会場:笑)

原:そういう状況でした。インターンしていた時は、(休学して)週5日、1日8時間していて。(住んでたのが)神奈川県の田舎の方なんですけど、朝一で電車乗って、ぎゅうぎゅうで。田園都市線でこんな感じで(押しつぶされる)。

(会場:笑)

原:渋谷で8時間仕事して、夜7時くらいに終わって、そこから夜スタジオに4時間。それを週4回くらいやってましたね。そして、たまにライブなので抜けます、をひたすら繰り返してました。

バンドって遊びじゃなくて本気でやると事業なんですよ。面白いのは、起業初期はバンドやっている感覚に近くて。こんな風にしたいっていうのがあるんですね、想いが。こういう曲つくりたいとか、この先、こういう音楽ができるから、こういうものを取り入れつつ、こうやろう、というものがあって。出来る仲間を集めて、作品をつくって。お披露目して、ファンを増やして。どうせCDとか売れないのでTシャツで稼いで。

(会場:笑)

原:あのバンドと対バンしたらお客さん増えたから、仲良くしてWebサイトに書こうぜとか、マーケティングしてとか。同じなんですよ。事業運営の基礎の基礎を、バンドを通じて学んで。結局僕は、プレイヤーとして才能があったというわけではなくて、企む方が得意で。イベントとかもやっていたので。プロデューサーという仕事が向いているんだな、やりたいんだって気づいたのが、大学生時代ですね。

【まじめで勉強に明け暮れた藤本氏】
藤本氏(以下、藤):僕は対象的かもしれないですね。エリートじゃないんですけど、ガリ勉で、シャイで。ソーシャル生活ゼロみたいな。(学生時代はずっとアメリカにいたので)アメリカってすごく勉強厳しいんですよ。卒業するだけで、競争社会で生きていくみたいな。アルバイトもレストランで皿洗いみたいなことしてたんですけれど。実は僕もバンドやろうとしていて、ギター持ってて。でもちょっと、クールになれなかったんですよね。

(会場:笑)

藤:オーディションには受からない。自分でやろうとしても人は来ないで、結局挫折して。勉強しかしないという。そういう、ちょっとデビューできなかった、殻の中に閉じこもった、みたいな感じでしたね。映画も好きだったんだけど觀るだけで、撮ろうでも映画クラブに所属するでもなく、勉強ばっかりしてたっていう。みんなの中で何かを起こしていくタイプでもなく、ガリ勉くんでしたね。


Q. インターンをしたきっかけを教えてください。

【CDを出そうと業界の人に近づいて、そのままインターンに】
原:きっかけはバンドです。USENで働いている人がいたんですよ。この人と仲良くしておくとCDが出せるな、という思惑で近づいていき。バイトとかないですか? って聞いてみたら、なにできるの? って言われて。エクセルとか表計算とかできるし、HTML書いてます、って言うと、良いじゃんとなり。そのまま行ったのが最初ですね。

当時のUSENって、インターネット企業を目指していて。今のGyaO!の前身になっているWebサイトとかをやってたんですね。インターネット企画部っていうベンチャーが社内で立ち上がって。そこに配属されて手伝っていました。USENに入ったものの、全然音楽流せないじゃん、っていう。笑 
隣の音楽の部署にいつも資料持っていったりしたんですけどね。笑

【インターンをしなければ就職できない、アメリカの就活事情】
藤:僕もインターンはやったんですけど、アメリカってインターンの定義が日本と違って。インターンやらないと就職できないんですよ。学生も競争社会で、履歴書つくらないといけないんです。皆さんは願書は書くと思うんですけど、学生だから職歴無いから書かないですよね。アメリカは書くんですよ。逆にインターンシップの1つもないと、何学部か以上に書けるものがないと、履歴書書けないので。死活問題なのでみんなやるんです。
でも、学業もすごく大変なので、8時間やるとか絶対にできないんですよ、絶対単位落とすから。結局夏休み、冬休みくらいしかできないので。夏のインターンシップ目指して、有名企業目指して、応募殺到するみたいな。自分もジェネラル・モーターズとかね、メカだから。

ユニバーサル・スタジオで働くきっかけになったのが、「シックスフラッグス」っていう、アメリカで有名な遊園地でインターンしました。そこのエンジニアリング部隊みたいな。メカニカルエンジニアっていうと、ロケットとか軍事産業か自動車産業とか製造業になっちゃうのですが、そこで働いている人が、泥臭いところじゃなくて「子どもに夢を与えるんだぞ」と。格好良かったんですよね。 インターンをしたら本就職の時もたまたま、ユニバーサル・スタジオを日本でつくりますという話があったので応募できた、って感じでした。楽しいインターンというよりも、仕事をゲットするんだ、というような。就職活動が2、3年生から始まってたというような捉え方ですね。


Q. 学生時代の学びが、今どのようにいきているのかお聞きしたいです。

【自分が好きで学んでいたら後悔しない】
藤:正直、間接的だと思うんですよね。大学でいろんなことを勉強して。でも、もうほとんど覚えてないです。僕は航空工学をやっていたんです。ジェットエンジンプロバルジョンの設計みたいな、そういう本があるんです。でも全くわからないです。それは今開いてわからないというより、卒業して1週間後くらいにみて、わからなかったんです。 ただ、論理的思考とか、頭の中で組み立てる能力とか、そういうところは理系でよかったなって思う瞬間があったり。

例えばアメリカでは、プレゼンテーションは研究の時からやらされたので、そういうところは糧になったなと。勉強はしていて良かったんですよ。それが機械工学である必要があったのか、というのはよくわからないんですけど。 その当時はラジコンが大好きだったので。笑 それで機械っていう。稚拙な興味、大事だなって思いますね。将来のためにやっとくべきだから経済学部にしましたって言って、それができなかったら、何のためにやっていたんだってなっちゃうじゃないですか。 少なくとも自分は好きだったからやっていたので。プレッシャーはありましたけど、自分の選択に対しての後悔はないですよね。それは重要だと思いますね。

【授業でやったプログラミングがいきている】
原:私は社会情報学をやっていました。基本は社会学です。社会学って常識を疑ってひっくり返すっていう学問なんですね。それは起業家にぴったりだと思っていて。あと統計学。データを集めて解析して、結論を導き出すという。さらになぜかそこにプログラミングがあって。文系なんですけど、必須は英語とプログラミング言語っていう 1年目にC++とかやらされて、意味がわからないという。当然、課題は全てコピペして終わったんですけど。

(会場:笑)

原:プログラムがどうやって動くかという、概念は理解できたんですよね。で、自分でホームページ作ろうかなってやってみたり。自分の場合は結構それが役にたってますね。あとはメディア論とか広告とか放送を研究していたんですけど。振り返ると自分がやってきた仕事には結びついています。

藤:ちなみに、プログラミングでいうと、僕も工学部全般的にプログラミング必須でした。生物工学だの、電子工学など色々ある中で、機械だったので、自分はプログラミング必要ないだろうと思って。プログラミングが一番苦手だったんですよ、大学で。大嫌いだったんですよ。

原:そこまで笑

藤:得意じゃなかったので。昔はコンパイルっていうプロセスがあって(プログラミング言語で記述されたソースコードを、コンピューターが解釈できる機械語としてのオブジェクトコードに変換すること)。

原:コンパイルエラーですね。

藤:そう。センスある人はわかるんですけど、自分はよくわからなかった。なので、コンピュータの道を進むのをやめて、IT産業へ。当時98年に卒業したからネットバブルの時なんですよ。クラスメイトみんなは、なんとかドットコムというところに就職すれば、ストックオプション貰えてウハウハだ、みたいな話ばかりで。自分はそういうのは嫌いだったので、ネットに行けなかったし、行きたくなかった。ずっと避けてきたんです。
そしてが色々何十回転もしてキャリアがゴロンとして。金融行ったり、運輸行ったりなんとかして。そして最後に、最近のネットを見ていたら、自分も何かつくりたくなったのが35歳くらいの時で。

その時にエンジニアを口説いたんですけど、誰もやってくれなかったので、自分で作ったんですよ。35歳でプログラムを学んだんですよ。一番嫌いだったけど、プログラミングを学んだ経験があったから、自力でどうしてもやりたいと思った時に、「くそー」とググりながら、できたんですよね。
その時に、プログラミングを十数年前にやっていて良かったなと。だけど、それまでのキャリアで、あれほど必要の無いものはなかった。

(会場:笑)

原:自分もコンパイルエラーにやられていました。100点とらないと動かない。細かいわーと思って、優秀な友達のコードをコピペしてたんですけど。だから、コピペを学びましたね。

(会場:笑)

原:Hackって言うんですよ。良い意味で物事をいかに最短でやるかっていう。それを勉強しました。

(後編へつづく)
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